あたまの休息所
第四話 1999.1.25

21世紀まで2年を切りました。

新年明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願い致します。

本年もこのインターネットホームページを通じて色々な新しいために成る情報を伝えたいと思います。

今まさに終演を迎える20世紀、20世紀の最大の出来事といえば、第一次・第二次世界大戦でしょう。

歴史上多くの戦いが行われましたが、その中でも最大規模の戦いは「第二次世界大戦」でしょう。

これを機に、世界各国も平和安定に真剣に取り組みだした、とくに我国「日本」もアメリカ主導とは言え、戦争放棄を憲法に定め、世界平和を誓ったのです。

第四話は、最近折角の誓いも色々と怪しい雰囲気の中、もう一度憲法「第九条」につてい考えてみましょう。


「憲法第九条、戦争の放棄」

マッカーサーは日本に進駐した時、「日本人はずるくて危険な危ない国民である」と考えた。彼の頭の中にはまだ人種差別が当然の様に有り、有色人種の日本人が白人を攻撃したと言うのは、危険な事件と考えていた様である。そこで、日本人の体質を変えようと考えたのが、日本新憲法である。マッカーサーは参謀部の法律関係者に命じ、日本国憲法の原文を一週間前後で作らせた。

では何故その様な短期間で出来たかと言うと、手本が有ったからである。それは1935年、ルーズヴェルト大統領がフィリッピンの独立に備えて与えた憲法である。当時、フィリッピンはアメリカの植民地であったが、将来独立させると言う約束をしており、その時の憲法がワシントンで作られていた。この憲法が、新憲法と基本的な性格において一致するのである。

アメリカが価値とする民主主義や言論の自由を尊重する点は良いのであるが、もっと重要な点において極めて問題を含む要素が有った。


まず第一に、両方ともウソ前提から始まっている点。

ルーズヴェルトのフィリッピン憲法は、主権の存するフィリッピン人民の総意によって出来た事になっている。だが、当時フィリッピンはアメリカの植民地であり、フィリッピン人民に主権などある訳がない。

同じく日本も当時アメリカの占領下に有り、日本人の主権など無い状況で日本国憲法も、占領下において、占領軍のスタッフが作った物である。占領下と言う事は日本に主権が無いと言う事であるから、主権の存する日本国民の総意など無かったのである。しかし有った事にして始まっている。この始まりがウソと偽善であった。


第二点は、フィリッピンを独立させる時に、アメリカはフィリッピンが武力で自国に背く事が無いような規定を作る必要が有った。そこで、国際紛争を解決する手段として戦争を放棄する条項を付けたのである。フィリッピンが民主的な独立国家になるのはいいが、アメリカに弓を引く事があっては困ると言う訳である。

同様な事が日本に付いても必要が有った。日本に新しい体質、新しい憲法を与えるのはいいが、それが民主的であろうとなんであろうと、アメリカに弓を引く危険のある戦争は放棄させるべきと考えたのである。

従ってそれが第九条が付けられた理由である。

ゆえに、第九条を新しい文明の先駆けのように言うには成立の事情から言って間違いであり、時間的にも新憲法の12年前に、フィリッピン憲法は戦争の放棄を規定しているのである。


第三点は、戦争放棄が人類の崇高な目的である、と言うのに異存はないとしても、その憲法を与えたアメリカは、自分達が信じる民主的な内容の憲法を与えたと称したが、アメリカの憲法には戦争の放棄はない。

それはアメリカが、自分達が戦争するのは正義であると考えていたからである。

フィリッピンや日本が戦争を放棄するのは文明的である、自分達が戦争する権利を有するのは構わない、と言う事なのである。ここで、国家による差別がはっきりするのである。


しかし、当時の世界経済からは現在の状況は想像出来ない物である。

占領軍のマッカーサーも同じであっただろう。いまや経済戦争真っ只中、新憲法の戦争の放棄など現の世界情勢でアメリカには、当時の思惑など関係の無い結果である。

しかし、現在のこの時こそ新憲法第九条の「戦争の放棄」は当時の思惑と関係なく、素晴らしいものであるし、声を大にして誇るべき条項であると思う。

以上新たな事柄につづく

参考引用(21世紀への日本より)


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