あたまの休息所

第三話 1998.12.25

街はクリスマス真っ只中、キリスト教を離れ祭りの一部となる現在の世相、何かおかしいと思うのは、私だけでしょうか?。やっぱり日本は除夜の鐘に初詣ですよ絶対に。

年末を迎えて今年遣り残した仕事は有りませんか。

後は大掃除の役割が悩みです。今回は掃除で使う(かな?)石鹸の話です。

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石鹸、それはその昔大変貴重品であった。そもそも現代の様な石鹸はの形は、フランスで発明・発展しました。世界各地で昔から石鹸と言える物を使用しているが、その殆どが獣脂、植物に関係した物でした。

南米にはインカの時代より、「石鹸の木」と呼ばれる植物があり、これは樹脂をはがし、水に浸けてなめす様に叩くと石鹸水となって洗顔、洗濯に使用出来るとういうものでした。

この様な植物は世界中に種類は違えども沢山あり、それだけでも石鹸の歴史は古いと考えます。人類の生活水準が高度に成ると、これら石鹸も(現在の石鹸とはちがうが)より良い物が求められる様に成って来る訳ですが、現在の形の石鹸としては古代ローマ時代に端を発するのです。


「石鹸は国家の富強と文化のための尺度である」19世紀の大化学者、J.リービッヒの言葉である。当時のヨーロッパではこの言葉が示すように、石鹸の生産量が工業力と生活水準のバロメーターとなっていた。

先に述べたように石鹸は古代ローマの時代、貴族の洗顔、洗髪用の貴重品として生まれ、その原料となったのは獣脂と植物の灰であった。即ち、主成分が油脂とソーダである。

現代では天然材料にかわって、化学合成によって作られた各種の脂肪酸と各種の苛性ソーダとを用いているが、この化学工業による新しい製造方法の発明が、石鹸の大量生産を可能にし、庶民のものとしたのである。

16世紀頃、フランスに興った亜麻布工業は、漂白剤として天然ソーダを使用した石鹸を大量に消費した。港町マルセーユはこれに伴って石鹸の集散地として、後には世界的に有名な石鹸工業の中心地として栄える。

しかし、スペイン戦争でスペインから天然ソーダの供給が断たれ、フランスの石鹸工業に危機が訪れる事となった。

そこで1775年、フランスアカデミーはこの窮地打開の為、人工ソーダ製造法の発明に懸賞金をかけたのである。

懸賞を勝ち取り、フランス石鹸工業の重大な危機を救ったのは、当時オルレアン公の主治医をしていた化学者、N.ルブラン(1742〜1806)であった。彼の発明は、ソーダ(炭酸ナトリウム)を食塩から化学的に分離させる画期的な技術であり、1791年にはルブラン法として特許を取得した。オルレアン公は、彼が特許を取得した直後に、サン・ドニにソーダ工場を建てた。しかし、1793年のフランス革命によって誕生した革命政府に、オルレアン公は絞首刑にされ、同時に工場は没収され閉鎖される。ルブランはその業績によって後にソーダ工業の祖とも称されたが、この事件により失意のうちに1806年、自らの命を絶った。

その後の1811年、同じフランスの化学者、M.E.シェブール(1786〜1851)が石鹸のもう一つの主原料の「油脂」を化学的に解明する。この時点で石鹸はもはや貴重品ではなく、ありふれた庶民の生活必需品となった。

そしてこの二つの発明による新しい石鹸工業は、20世紀の現代に驚異的な発展を見せる油脂化学工業の、まさに先駆者となったのである。

以上新たな事柄につづく

参考引用(歴史街道より)


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