あたまの休息所

第二十六話  2003.1.13

前回の日本史の事実について書きましたが、視野を広げて結局古今東西「人」は変わらない、時代背景が、環境が違うだけで、思慮、行動、対処は同じだなと感じたこと。以前聖徳太子のことを書きました。結論は聖徳太子の思慮、行動、対処はそのまま現代に当てはまり、人類は進歩しいてないのか、先人が進んでいたのか。

孫子の教えから。


孫子の一番有名な文句で、 敵を知り己を知らば、百戦して危うからず。
つまり、時が見えていれば無駄な戦いはしないものである。
敵を知らず、己のみを知って戦えば、勝負けは時の運である。
己を知るというのは、どちらかと言うと傲りの部類の話であろう。
一人よがりというか。まあ、いわゆる目の見えていない人ですね。こういう人は意外に多いもので、日常的に一番多い人間のタイプである。
敵を客観的に見るためには、心が透明でなければならない。
欲で眩んだ目には、敵は見えない、そんなものである。だから、敵を知らず、己だけ知るという事は、実際には有り得ないことである。 つまり、次の文句に書いてあるように、敵を知らず自分を知らず、戦う度に負ける輩が多いのが現実である。もっとも日常では、現実は戦争に等しいと思っている輩も少ないであろうけれども

将は、國の補佐役である。補佐役が有能であれば、國は必ず強い。
その反対に補佐役が無能であれば、國は必ず弱い。
有能であった将を記憶している限りで挙げてみれば、中国では周の文王における太公望、漢の高祖における張良、韓信、蜀の劉備における諸葛孔明、ホウ統、曹操における仲達その他、管仲、楽毅。
日本では、北条時宗、高師直、楠木正成、羽柴秀吉、武田信玄、竹中半兵衛、黒田官兵衛という所である。
日本では、大将が補佐役を兼ねている場合が多い。これは、国土が狭いので補佐役は必要がなかったのではなかろうか?中国では補佐役が歴史を決定づけたと考えられる場合が多い。 上に挙げた人物は、みな国王よりも優秀であり、その発言が国王の決定を左右した。しかし日本では、国王よりも優秀であった将がいただろうか?織田信長にしても、部下の言う事は聞かなかったというし、武田信玄における山本勘助は神話らしい。
しかし、織田信長には参謀がいた。それは、堺衆である。 中でも千利休がそのナンバーワンであったと考えられる。お茶というのは、侘び、寂びだけのものと見る向きもあるだろうが、それは江戸時代以降の事で、実は、あの茶の湯の場で織田信長は、人の言う事を聞き、将来の展望を得ていたのである。
孫子は次のように言っている。そもそも「戦争」というのは、国家にとって最も重大事である。
というのは、戦場に行って戦うのは、国に生活する人々である。また、国土が戦場になった時は、土地を耕している人々も戦闘に巻き込まれるからである。つまり、人々の生死が戦争によって左右されるのである。この事情は、まだ記憶に新しい第二次世界大戦の日本の状況を思い出せば明白である。
それゆえに、戦争をするという決断は、軽々しくやってはいけない。むしろ、しない方がいいのである。
さて、現代は戦争の時代である。人々が全て武器を持って戦っているわけではないが、みんな戦争を戦っている。現代人は商品を作って他者に買ってもらう事によって生活の資を得ている。
商品を自分だけが生産しているのならば良いが、似た商品を多数の人が作っている。そのため、他の人が作ったものより、より安価でより良い商品を作らなければ、買ってもらえない。
つまり、生活の資を得ることができず。その先には死が待っている。これが、現代が戦争の時代と言われる所以である。


孫子は、2500年前に書かれたものであるが、武器を持って戦うための兵法の書として、人間精神にとって極限的な状況での対処方法を述べている。それ故に、武器を持たない戦争を戦っている現代人にも参考になる事が書かれているのではと考えるであるが 。


以上新たな事柄につづく 株式


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